2007・1・25 緊急アピール
ノンフィクション作家 吉田司
[1]漂流アメリカを撃て!
室謙二さんからナンシー・ペロシ(米国下院議長)のインタビューの言葉が届きましたよね。
What do we want?
Out of Iraq !
When do we want it?
Now!
そのスローガンはベトナム戦争のときと同じだというのです。私はここ1〜2年ずっと言い続けてきました。《ベ平連をもう一度!》。吉岡忍と組んできたのも、そのためです(モチロンそれだけじゃないよ‥‥笑)。
憲法・反戦平和なにを考えるにも、今は国境を越えて行動する集団が必要です。戦後の運動体でそのDNAを持っているのは〈ベ平連的なもの〉だけです。あの時は「ベトナムに平和を!」でした。しかし、安倍「防衛省」軍事立国主義の世の到来では「ニッポンに平和を!」=「J平連」が登場せねばならぬのではないでしょうか。
わたしたちアピールの会が渡米して見たものは、バブル崩壊後の漂流ニッポンに比すべき〈漂流するアメリカ〉の姿でした。しかし日本の安倍政権も国民も、中国・朝鮮半島のナショナル・パワーの台頭を恐れ、近代の総決算(アジア侵略・植民地化の責任)を迫られ復讐されることにおびえ、その漂流アメリカへ一層パラサイトしてゆく愚劣をおかしています。憲法改正・軍事立国化は、日本人が”平和ボケ”してグローバル・リアリズムについてゆけなくなったからではなく、”アジアからの復讐”に身構えること、漂流アメリカの絶対国防圏(米軍再編)の中に日本が完全吸収されてゆく一環です。そういう形でしか 21 世紀の日本民族主義の「再軍備」戦略は成立しないという話です。
逆に言えば、安倍「改憲」主義の最大の弱点は、彼らがパラサイトする「日米同盟」そのものの中にあります。いまのアメリカはパラサイトしたらどこに行かされるかわからない、漂流し始めた”ひっこりひょうたん島”です。日本人は戦後アメリカにまかせてたら、まぁなんとかなる‥‥とアメリカ依存の信仰を続けてきました。その信仰がいまの日本人を改憲(→戦争のできる国)へと歩み急がせているのです。
わたしちたの中のアメリカ幻想を打ちこわすこと――これが〈議会主義〉におち入らず国民投票法案反対の動きを強めてゆく方法だと思います。
◎具体的には、今春、コーラ・ワイズを日本に呼び〈漂流アメリカを見つめよう!〉 の討論市民大集会をひらくこと。室さんがレポートしてくれた、アメリカのイラク 「増兵」反対運動のその後の盛り上がりや参院選直前をにらみながら、メディア対応型の動きも作ってゆく。(吉岡は、単なる討論集会ではなく、ニューヨーク・沖縄・東京をネットで結ぶ三元対話方式はどうか? と言っています)
このあとに続く文章群は、私の書いた文章や読んだ本からの引用です。わたしたちの中のアメリカ幻想から乳離れするために有効と思ったものを、取り急ぎバラバラ・アトランダムに列記したものです。こんなこと知っているよ‥‥というのも沢山ありますでしょうが、まあとりまとめて一読されて、今年の共同アピールの会の行動を考えてみてください。なお、私自身は、このアメリカ集会を経て秋頃にはヨーロッパをめざしたいと願っているのですが‥‥。それでは、かなり長い参考文章が続きますが、よろしく。
まず最初は『望星』( 07 年1月号)に書いたわたしのつたないお話からです。
「非リアルなアメリカ信仰」
いま、集中的にアメリカ関連本を読み漁っている。というのも、この九月に「主権在民!共同アピールの会」の仲間十四名(作家の吉岡忍やアジアプレス代表の野中章弘ら)で、十日間アメリカ大陸横断の旅をやらかしたからです。「ナゼいまアメリカか?」と、よく聞かれました。そこで、東京新聞のコラム(十月六日付)にこう書きました。
「安倍晋三内閣の『美しい国』づくりがスタートしましたが、はてこの美しい国の故郷はどこでしょう? 吉田松陰らを生んだ山口県『長州藩』だと思っていたら、大きな間違いです。この内閣は『日米同盟は不可欠‥‥ベストの選択』(『美しい国へ』)と広言してはばからない〈アメリカ印のナショナリズム〉内閣ですから、その故郷は日本国内に在らず。遠く海を渡ったサンフランシスコの『戦争記念オペラハウス』(一九五一年の日米安保条約調印会場)が故郷なのです。‥‥そこで共同アピールの会は、オペラハウス前でパリ不戦条約(一九二八年)の『戦争放棄』宣言を読み上げ、『美しいき集団自衛権』内閣への”先制攻撃”をしてきました」
つまり、安倍内閣の「美しい国」イデオロギーと戦うには、アメリカという国をもっとよく知悉し理解することが、トテモ有効な方法論となるのです。実際、ぼくらがこの旅で目撃したのは、世界帝国アメリカの威風堂々などでは決してない。〈怯えるアメリカ〉あるいは〈分裂してひび割れるアメリカ〉の自信喪失した姿だった。かつて「世界の外部」(脱出口)性を誇ったアメリカンドリームのその姿は、いまやテロや不法移民流入を恐れ、ある種の自閉心理に陥っていた。
「空港の入国や搭乗の際に両人差し指の指紋を採られ、写真撮影され、上着や靴も脱いでチェックを受け、機内には使い捨てライターも飲みかけのコーヒーも持ち込めない」
(吉岡忍)
安倍首相によれば「米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである」そうだが、そんなのウソ、ウソ。幻想あるいは日本人の非リアルな〈アメリカ信仰〉にすぎない。たとえば『超・格差社会 アメリカの真実』の著者小林由美は、アメリカの実像は〈四つの階層〉=「特権階級」「プロフェッショナル階級」「貧困層」「落ちこぼれ」に分解し、「富の六割が五パーセントの金持ち層に集中。国民の三割が貧困層」の国なのだが、日本人はそういうアメリカのリアルな姿をほとんど知らず、平等な民主主義社会だと誤解していると書く。
そう、ぼくらのアメリカ像も、じつはそうした戦後的常識=アメリカ信仰(コンプレ
ックス)から抜けきっていないのではないか !? なぜなら今回の旅で、ぼくらの最大の不安は、憲法九条の戦争放棄の話など、アメリカじゃ全然通じない、チンプンカンプンだろう――馬鹿にされるのがオチだと思っていた。しかし実際はまったく違った。
@カリフォルニア大学バークレー校のマイケル・ナグラー教授は、九条を正面から取り上げた。
「日本人は前後六十年、平和憲法という〈非暴力〉伝統の下に生きてきました。いまはそれをアグレッシブな非暴力行動主義に変え、安倍内閣に対抗すべきです」
ナグラーとぼくらアピールの会は、ほとんど同じ目線の高さで日米〈平和論〉を語り合いえたのである。
Aボストンでのことは、吉岡忍がこう書いている。
「アメリカのアジア学をリードすると評判の高いハーバード大学ライシャワー研究所の教授たちと会った。‥‥『私たちは改憲の是非を言いません』と繰り返す教授らに、ぼくらは執拗に議論を吹きかけた。(中略)彼らは一様に困惑した表情を見せた。‥‥アメリカの知性の先端にいるはずの大学の研究者の面々が‥‥臆病なくらいに発言を控える態度に、いまアメリカが陥っている混乱の深刻さを考えないわけにはいかなかった」(『創』十二月号)
イラク・北朝鮮問題を含め、いま〈戦争と平和〉について自信喪失しているのはアメリカであり、平和論議についてイニシアチブを握ったのは、ぼくら「アピールの会」の方だった。つまりほかならぬ、ぼくら自身がアメリカ・コンプレックス幻想にハマっていたことに気づいたのだった。だから、いま日本列島の中で進行しているのは、安倍〈アメリカ過剰幻想〉政治だとハッキリ言えるのである。
たとえば「最強の軍事力」だって? 米国中間選挙は、イラク戦の米兵死亡三千名を前にして、ブッシュ共和党は惨敗=ラムズフェルド国防長官は辞任した。米軍は”弱い軍隊”だということを証明した。「国際社会への影響力」だって? 〈核実験〉の北朝鮮が六者会議に復帰するのに中国が果たした影響力を前に、ブッシュ大統領は、「中国に感謝する」と頭を下げざるをえなかった。さらにはベネズエラの反米大統領チャベスやニカラグアのオルテガ大統領(元サンディニスタ解放戦線)の再登場など、中南米のアメリカ包囲網は広がりつつある。
そして米中「経済力」の問題についてし、テッド・C・フィシッシュマン『中国がアメリカを超える日』が、「アメリカは『元依存症』という奇病にかかってしまった」と書いている。中国はいま、アメリカが無駄遣い〈国民の大量消費〉に必要なカネ(米国債)をすべて貸してやっているのだと――そうならば、安倍首相が挙げた米国の条件のどれを考慮しても、「日米同盟はベストな選択である」などいう結論は出てこないはずなのだ。
つまり安倍首相は、リアルな現実主義者ではないのである。アメリカという幻想または、日米安保の双務制(集団的自衛権の行使)という祖父岸信介元首相の悲願に取り憑かれた一個の浪漫主義者が徘徊していると解すべきだろう。
[2]ぼくらの中の《アメリカ・アメリカ》
青春時代の記憶だから正確ではないが、確かエリア・カザンの映画『アメリカ・アメリカ』はアメリカに移民するイタリアの子供(?)の眼を通して、世界中の脱出口(貧困や国家迫害からの)=「エクソダス」あるいは「カナンの地」とされたアメリカの非情な現実、夢破れてゆく絶望が描かれ告発されていたように思う。アメリカよ、お前はそれでいいのか !? というカザンの叫びが印象に残っている。では、ぼくら戦後平和 60 年の日本人にとってのアメリカとは何だったのか。それはリアルな現実それとも幻想だ
っか‥‥。
@「アメリカの偏在は、実はアメリカでは新しいことではなく、第一次大戦と第二次大戦の間、1920年代にも同様の現象があった。というよりも、富の分布が平準化した1930年代から第二次世界大戦後に至る20世紀半ばのアメリカ――このアメリカこそが、終戦直後から 70 年代まで、日本人があこがれた”豊かな中産階級社会”だった――は、歴史的に見るとむしろ例外的な時期だった」(『超・格差社会 アメリカの真実』小林由美)
クリント・イーストウッド監督の二部作『FLAGS OF OUR FATHERS(父親たちの星条旗)』『硫黄島からの手紙』の映画パンフレットには、こうある。
A「硫黄島総指揮官・栗林忠道は、1891(明治24)年7月7日、長野県 松代町 に生まれた。‥‥1928(昭和3)年から30(昭和5)年にかけてアメリカに留学する。当時、海外留学は成績優秀者の特権だった。続いて31(昭和6)年から33(昭和8)年まで、駐在武官としてカナダで暮らしている。アメリカ留学中は、ワシントン、ボストンなど‥‥ニューヨークやサンフランシスコ、ロサンゼルスなども訪れ、みずから車を運転して大陸横断までやってのけている。アメリカの軍事力、経済力を自分の眼で見て把握していたのである。アメリカの友人も多く、日本の陸軍の中では貴重な米国通だった。しかし、軍中枢部が、栗林の経験と見識を活用した形跡は見られない。逆に、アメリカびいきと見られて疎まれたとする説がある。栗林が硫黄島行きを命じられたのは、‥‥彼のアメリカ的な合理主義が嫌われ、生きて帰れぬ戦場に送られたという見方もある。栗林は、 アメリカとの開戦に最後まで反対していたといわれる」(大宅賞『散るぞ悲しき』の梯久美子)
小林にあって梯にないものは、1929年ウォール街大暴落から始まった大恐慌の視点(→1930年代世界は国家社会主義統制経済・ブロック化へとすすむ=「富の平準化」(ニューディール政策)、日本では満州建国)である。栗林は、アメリカ大恐慌時代の真っ只中にいたのであって、単なる〈文明開化〉を見物していたわけではあるまい。
すなわち梯の中に、戦後日本人の平均的な、凡庸なアメリカ認識が典型的にあらわれている。〈敵対不可能なほど、巨大な軍事力と経済力をもつ文明大国アメリカ〉という、
戦後日本人の通念である。その意味するものは(恐怖または憧憬・追従)すなわちアメリカを正面から対等にリアルに直視しえない態度=直言できないパートナーシップのことだ。そして、その通念・幻想があるからこそ、こういう対米追従路線も〈現実主義的選択〉と受容されるのだ。
B「米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである。‥‥今日、日本とアメリカは、自由と民主主義、人権、法の支配、自由な競争――市場経済という基本的な価値観を共有している」(安倍晋三『美しい国へ』)
そうした戦後通念はピカドン(原爆)から始まったとジョン・ダワーは書いている。
C「広島と長崎での原子力による破壊につづく東京湾の光景(アメリカ戦艦と海軍戦闘機1500機、B29爆撃機400機)は、アメリカ式民主主義の下ではあのような物質的な力と富が達成できるかもしれないという、目の覚めるような実例を日本人に提供することになった」(『敗北を抱きしめて』)
しかし、ジョン・ダワーの話は本当だろうか? 原爆を含む軍事的破壊力が、民主主義を日本に根付かせたというのだが‥‥。それなら現在のブッシュ政権の「イラク占領」政策→2万5000人の米軍増派の「力による抑え込み」もあながちムチャクチャとも言い難くなってくる。しかし、マッカーサーの「日本占領」が成功したのは、必ずしも軍事力によるものだけではなかったろう。
D「イギリスの帝国史家R・ロビンソンは、‥‥ヨーロッパ帝国主義の非ヨーロッパ社会への関与の前進(植民地化)と後退(脱植民地化)について、(1)ヨーロッパはその影響と支配をおよぼそうとした対象社会において、当該社会を掌握するエリートを協力者(コラボレーター)としてつねに必要とした‥‥とする見解を『協調理論』として問題提起したい。(中略)注目したいのは、ロビンソンが協力者の範疇に植民地化をまぬがれた日本のエリートとして、幕末・維新期の『近代化志向のサムライ( modernizing samurai )をもあげている点である」(『帝国の終焉とアメリカ』渡辺昭一・編)
新渡戸稲造が日清戦争の1989年、アジアに台頭した「新生日本」の力の秘密を『武士道』と紹介し、ヨーロッパの騎士道に匹敵する〈サムライ像〉として描き出したのが、おそらくはその「国際社会からの信認の獲得と富国強兵の道に励んだ19世紀後半の日本の『モダナイジング・サムライ』の最初の姿ではなかったか。新渡戸はそれをアメリカで英文で書いた。
E「武士道は一言でいえば『騎士道の規律』、武士階級の『高い身分に伴う義務』である。(中略)武士道は道徳史の上では、大英帝国の憲法がイギリスの政治史の上に占めたのと同じ地位を占めている」
つまりこれは、鎌倉武士でも戦国時代の荒武者でもない、ヨーロッパやアメリカ文明の眼差しによって見つめられた「近代化志向の武士道」であり、その「アメリカびいき」の系譜の中に、前述べした硫黄島の栗林中将あるいはバロン西(1932年ロサンゼルス・オリンピック馬術金メダル=硫黄島玉砕)なども位置するのだ。戦後のベビーフェイス(善玉)の軍人ヒーローとして名高い3人の海軍「和平」(反戦派)三羽ガラス(井上成美・米内光政・山本五十六)の開明主義者はみなこのモダナイジング・サムライと言って良いだろう。
つまり、東条軍国主義の流れと欧米(近代)派の流れの二つが30年代に入るや対立し、前者は日独伊「三国同盟」へ流れ込み、敗戦後は後者の系譜がアメリカの「日本占領」のコラボレーター吉田茂や岸信介の保守政治となって全面化した。日本占領が成功したのは、マッカーサーの直接支配がこうした日本近代を通じて絶えることのなかった過剰なアメリカ幻想(文明開化の黒船信仰)をふたたび極限まで高めたからではなかったろうか。それはアメリカへの軍事的屈服(→民主主義への転向)だけではなく、日本近代化の総仕上げが敗戦によってはじめて可能になったという「親和性」をももたらしたのだろう。
さて、ところで 07 年1月から「防衛省」がスタートし、自衛隊の海外派兵が本来任務となった。安倍首相はブリュッセルのNATO理事会で「今や日本人は国際的な平和と安定のためなら、自衛隊が海外で活動することをためらわない」と勇ましく発言し、早くも集団的自衛権行使への道を歩みだ出した。政治評論家の森田実はこう評している。
「イケイケの安倍だから、文民統制も何もあったものではありません。夏の参院選で勝たせて続投させてしまったら、この国は間違いなく戦前の1930年代にタイムスリップしていきますよ」(『夕刊フジ』1月10日付)
こうした戦前軍国主義復活論はなぜ後を絶たないのだろう。30年代の軍国日本はそれほどの暗黒=深い傷・トラウマとなっているという反戦的見方も成り立つが、本当にそうか?
まずこの復活論の最大矛盾は、現代日本の軍事体系を抑圧・コントロールしているのは日本ネオコン(防衛族)などではなくアメリカ「米軍再編」だというリアリズムがすっぽり抜け落ちていることだ。30年代の軍国主義は、神国日本のために戦い暴走した。
安倍ナショナリズムは、米国の傭兵となりアメリカの国益を守るために戦い、そのバーターとしてアジアの中の日本権益を維持するのである――30年代体制とはまるっきり〈別物〉である。
つまり戦前復活論は、アメリカという視点を欠落させたときに成り立つ物語なのだ。戦後「平和と民主主義」日本人のこの平均的な、不思議な感性《アメリカの不在》あるいは《見えないアメリカ》はどこから生まれたか !? 二つの理由を考えてみる。
(1)サンフランシスコ講和会議(日米安保条約)で本当に日本は独立したか――それを戦後日本はリアルに直視したくなかった。
F「アメリカは親米政権の核となる政治家として吉田茂に白羽の矢を立てた。吉田については、再軍備反対論者、改憲反対論者で『軽武装・経済成長優先』路線の推進者であるというイメージが作り上げられてきた。しかしそうした吉田イメージは歴史的検証に耐えられるものではない。‥‥ダレス特使との交渉のなかで、あらかじめ準備していた『再軍備計画のための当初措置』を提出した。(中略)吉田は将来における本格的再軍備を視野に入れており、そのために憲法改正を考えていた。‥
‥以上の経過は、吉田政権のコラボレーターとしての性格を浮き彫りにしている」(『帝国の‥‥』)
つまり、GHQの「東京裁判」は”勝者が敗者をさばく”不平等なものと言われたが、日本人の戦争責任ん゛あいまいになったのは、日本がたちまち親米国となり、冷戦構造の中で”アジアの追求”の前に日本人一般が一度も立たされたことがない(B級裁判のみ)=すなわちアメリカによって日本人の戦争追求はアジアから守られたのである。
G「アメリカの論理とアメリカが設けた冷戦のルールの枠内でしか行動し得ないとい う吉田の外交行動は、アメリカの支援なしで吉田が政権を維持し得なかった点に求められる。日本の保守政党に対するアメリカ中央情報局(CIA)の資金援助はその一つである。‥‥D・アイゼンハワー政権が強く望んだ1955年保守合同の実現のために、この資金が使用されたといわれる」(『帝国の終焉とアメリカ』)
こうした日本独立の姿を直視する精神が国民にもメディアにもなかった。それは同時に、アメリカを直視しない=アメリカという黒幕の存在を容認することを意味した。それが(表)平和憲法=(裏)日米安保のケンタウロス体制の成立につながった。
H「日本国憲法のもとで憲法に適合する法体系とは別に、これに優先する安保条約下の法体系がつくられることになった」(同)
同時にアメリカ自身も自己のその醜い姿を日本人の眼から隠したかった。
「アメリカの政策決定者たちが望んだことは『アメリカが構想する世界システムのなかに日本を位置づけること、そして日本を、とやかく指図しなくともやるべきことをきちんとやるように仕向けることだった』」(同)
こうして《アメリカの不在》が完成する。今日、”アメリカに向けて発射されるミサイルを黙って見ているわけにはいかない。(日本が迎撃できるかどうか)議論・研究する必要がある”ナンテことを自主的にキチンキチンと発案発表してゆく安倍首相の「米軍再編=自衛隊再編(防衛省)」路線がそれである。
(2)〈戦前〉と〈戦後〉の連続性――カレン・ヴァン・ウォルフレンは『日本権力構造の謎』の中で、太平洋戦争の敗戦で、「過去とはっきり決別した新しい日本が誕生した」という8月 15 日説は間違いだと断言している。もし戦前と戦後が通底し合い、同質性を色濃く持っているのなら、日本人の感性がつねに、いつも何かあればすぐ「戦前軍国主義復活」という発想に流れるのはムベなるかな‥‥なのである。
I「岸(安保改定の前に)台湾、タイなど東南アジア六ヶ国を歴訪する。‥‥つまり岸は、単なる『駐軍協定』としての旧条約を双務的な防衛条約に改めることによって、吉田が果たそうとして果たせなかった『対等の協力者』としての日本をアメリカ側に了解をさせねばならないと考えたのである」(原彬久『岸信介』)
アメリカに会う前にアジアの環境づくりを整備する政治手法は、孫の安倍晋三の首相就任直後の電撃的”中国訪問”で踏襲されたのだが‥‥。
J「岸におけるアジアのこうしたアプローチが、日本を盟主とするかつての彼の『大東亜共栄圏』思想ないし『大アジア主義』と必ずしも矛盾するものではない。彼は後年インタビューで、戦前みずからが抱いた『大アジア主義』と戦後におけるアジアへの関心とは『完全につながる』とともに、『自分が満州国に行ったことも結びつく』こと、すなわち自身における『戦前』と『戦後』とは『おそらく断絶はない』し『一貫している』と断言する」(同)
かくして@〜Jまでに語られてきたことは、日本の近現代においてアメリカとは、押しつけられた近代化=追いつき追いこさねばならぬ先進文明(軍事を含む工業生産)モデル、言葉をかえれば強迫される悪夢=恐怖と憧憬の国でありつづけたという歴史である。いまアメリカの自動車業GMを追い抜こうとしているトヨタこそその日本近現代史のシンボルだと言えよう。
しかも、前出した「モダナイジング・サムライ」の日本エリートたちは、皆いわゆる〈和魂洋才〉の半近代主義者だった。魂〈精神〉は神国日本の方がすぐれているとして、「技術的なノウハウを取り入れるために西欧に対してできる限り窓を開けようとする」(『諸文明の内なる衝突』ディータ・ゼンクハース)人たちだったから、アメリカの精神文化=「聖書」(神の言葉)の原理主義の国であることには目を向けなかった――その結果、わたしたちの近現代は、政治・経済・軍事上における最先端アメリカという国家像しか見てこなかった。《遅れた非文明的なアメリカ》という国家像を少しも知らずにすごしてきてしまった。
つまりあの国が、われら戦後平和日本以下の、決して見習ってはならない価値観を持ちつづける〈知恵のない国〉だということに、われわれはようやくこのアフガン・イラク戦争の中で気づいたのである――あの国はいまもなお〈神の国〉史観を護持する宗教国家だった事実に。つまり安倍晋三のスローガン「日米同盟はベストの選択」は大間違い。その選択はまことに見事なアメリカ・コンプレックス(黒船信仰)小児病なのである。
21世紀ニッポンはその小児病を超えねばならない。憲法改正反対とは、われら日本近現代のアメリカ幻想の破砕をともなうものでなければならない。日本人はアメリカの国益を守るために戦争するわけにはいかないからだ。以下につづくいくつかの文章は、その幻想破砕のためのヒントとなる、取り急ぎのピック・アップである。アトランダムに列記しておく。
K米国と宗教(「本音のコラム」吉田司/東京新聞 07 年1月 12 日付)
「キリスト教 VS イスラム教の対立―。この宗教的難問をアメリカ議会はどう裁くのかと注目したが、結果はこうなった。
『イスラム教徒として初めて米下院議員になった民主党のキース・エリソン氏が、通常使うキリスト教の聖書ではなく、イスラム教の聖典コーランに手を添えて議員就任の演説をした。‥‥一部の保守派からは反発を受けていたが、エリソン氏は米国建国の父の一人、トーマス・ジェファソン第三代大統領が所有していた貴重なコーランを議会図書館から借りて宣誓に使い、批判の矛先をかわした』。う〜ん、そういう手があったか!
ただしこれは、ジェファソンが民主党の開祖的存在で、現在アメリカ議会を仕切っているのが民主党のぺロシ下院議長だという親和性の中で成立した結び。ブッシュの共和党優勢の時代なら、こうはいかなかったろう。それにしても第二次世界大戦後、祭政一致の宗教国家(近代天皇制)をやめた平和民主主義の日本人の眼には、あの国のこうした宗教的不寛容=「聖書」(神の言葉)原理主義の姿は異様に映る。
アメリカ通の話では、『米国の大統領は、キリスト教の最高の宗教的「祭司」なんです。同時に陸海空三軍の最高司令官だから、戦前日本の現人神・天皇に近い」んだって。ナンダあの国はまだ”天皇制”をやっている国なんだ !! 」
L「スゲェおおざっぱな話をすると、戦後日本の天皇制はタブーとなったが、アメリカではむかしも今も天皇制がつづいているって‥‥、まあそんな感じ。アメリカって先進国どころか、戦後平 和ニッポン以下じゃんかよ‥‥と。アメリカの歴史は、イギリスやフランス、スペインの植民地時代から始まり、ワシントンらの「独立戦争」=合衆国が誕生するわけだが、その原動力となったのは、イギリス国教会(カトリック系)の弾圧に抵抗した「清教徒」(プロテスタント系)の宗教難民だったことはよく知られている。しかし清教徒(ピューリタン)が、「カルヴァン派キリスト教徒」(原理主義的プロテスタント)であることを知っている日本人は少ない。
私も今回知った。カルヴァンは、ルターの宗教改革の系譜をつぐ”過激派”で16世紀の半ばジュネーブに極めて禁欲主義的な「神政国家」を作ります。
「カルヴァンは、‥‥いわばアラトーラ、すなわちイスラム教シーア派の最高指導者に匹敵する存在になった。(中略)カルヴァンの宗教思想は旧約聖書、とりわけ古代イスラエル民族の信仰思想と大変よく似ています。例えば自分は神によって選ばれた存在という考え方(ユダヤ人の選民思想)、‥‥聖書を神のことばとする理解、‥‥神の戒律に服従する生き方‥‥などです」(『ヨーロッパ精神の源流』D・シュヴァニツ)
そういえばヒラリーは今度の中間選挙(ニューヨーク州)で約 67 %もの大量得票し、「候補者中、最高とみられる五千万ドル近くを選挙資金として集め、抜群の集金力をみせつける一方、上院議員選で使ったのは、この半分だけ。残りは大統領選に振り向けることが可能だ」(東京新聞 06 年 11 月9日付)と伝えられるが、この資金源の中心はニューヨーク州の金融・貴金属などを扱う大小のユダヤ資本であることも今回知った。「ヒラリーの背後にはイスラエル・ロビーがいる」(ピースボートのニューヨーク支部・伊地知亮)と。
話が現代と中世を飛び飛びになっているが、要するにアメリカとは、イランのシーア派国家(祭政一致)型の「宗教原理主義」的傾向を根強く持った国だということだ。
そこで「ああそうだったのか‥‥」と思い至るのが、日本の大東亜聖戦が敗北し天皇が占領軍のマッカーサーに会見した時のシーン。あれは天皇が”自分の身はどうなろうといい”からと、兵士や国民の運命を先に案じたことに、マッカーサーは”西欧的騎士道”精神を読みとり大いに感動した。そのため、天皇の戦争責任免責に動いたのでは‥‥というエピソードが有名だが、前述のアメリカの宗教国家性を考慮に入れれば、実は日本の現人神(祭政一致)型の天皇制は、マッカーサーにとってそれほどの違和感はもともとなかったのではあるまいか。
「聖書」を神の言葉とし、その〈言葉の代理人〉たるアメリカ大統領と、古代「三種の神器」の代理人=近代「武装」天皇制とはその宗教的過激さや異様さにおいては相通ずるものがあるのだ」
M「アメリカに伝統的に見られる一種の選民意識は、アメリカが古代イスラエルとみずからを類比関係においてとらえてきたことと深く関係している。アメリカはニューイングランド植民地時代から自分たちの社会と国家を『新しいイスラエル』であると意識し表現してきた。旧約聖書の民、古代イスラエルは神(ヤハウェ)に選ばれ、特別の使命をあたえられていると信じてきた。『新しいイスラエル』アメリカの場合も同様である」(『宗教から読むアメリカ』)
N「ゾンバルトも、アメリカ到達のコロンブス遠征の資金をまかなったのはユダヤ人であり、アメリカでの『最初の商人はユダヤ人』、『最初の工業施設もユダヤ人に由来する』と指摘している。
彼らは南部で『三千人の黒人労働者を働かせ』るような大がかりな農園を経営し、多くの砂糖工場を設立し、アメリカ植民地経済の基礎を作り上げた。また『合衆国』の独立戦争の戦時資金の調達を行ったのも「数個の強大なユダヤ家族」であり、この『必要資金の貸与なくしては、「合衆国」の独立はけっして実現しなかったろう』と述べ、アメリカのいう『外部』=『新世界』建設にユダヤ人が決定的影響力を発揮した事実を繰り返し強調している。
『たとえば、二億百万ドルの資本金をもつスメルターズ・トラストは、ユダヤ人たち(グッゲンハイム家)が創立した。タバコ・トラスト(資本金五億ドル)、アスファルト・トラスト、電信トラストなどのなかでユダヤ人は指導的地位についている。‥‥一連の大銀行を、ユダヤ人が所有している。たとえば、アメリカ全土の鉄道網を一手におさめることを目標にしている「ハリマン組織」は、ニューヨークの銀行クーン・レープ・アンド・カンパニーによって支援され、‥‥西部ではユダヤ人が支配的地位で幅をきかしている。もともとカリフォルニアは、彼らがつくりあげたものだ。(中略)つまりアメリカ的なるものができたのは、もっぱらユダヤ気質のおかげであると主張できるだろう。われわれがアメリカニズムと呼んでいるものは、それこそ大部分が流入したユダヤ精神に他ならない』(ゾンバルト『ユダヤ人と経済生活』)
あのゴールドラッシュの時代にみられるような”投機的な市場操作”を通じ、近代的な『証券取引所』=『株式会社』資本主義を作り上げた元祖は『ユダヤ商法』であり、またその中心命題がなぜ”鉄道株”だったかは当時ロスチャイルド家が世界における『最初の鉄道王』だったからだとも、ゾンバルトとは指摘している。
『近年(一八四三年以前)、投機精神が工業的企業に向けられ鉄道がヨーロッパ大陸の欲求となったとき、ロスチャイルド家はイニシアティブをとり、この動きの最先端にたった』(一八四三年、アウクスブルグ・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の論説)と。
つまり、アメリカという『外部』世界のインフラである〈鉄道〉と〈金融〉はユダヤ人が作り出した、あるいはユダヤ人が押さえたという歴史的事実を、読者はもう少し後まで記憶しておいていただきたい」(『孫正義は倒れない』吉田司)
O「在米ジャーナリストの室謙二は『アメリカは歴史的に反知性・反インテリ主義の伝統をもっている』と語る。すなわち、こうだ。
『アメリカの大半の地域では、高等木養育を受けた人に対する反感はいまだに根強い。(中略)その背後にあるのは、開拓時代に普及したエバンジョリカル(福音主義)の教えだ。その基本思想は、聖書を神の言葉とし‥‥、神と直結でき、救われるというものだ。(中略)だから、知識や教育よりも信仰の方が遥かに大切である。(中略)だから大統領選になると、候補者は‥‥決して学歴を宣伝しない』(超・格差社会 アメリカの真実)」(アエラ「現代の肖像 ヒラリー・クリントン」吉田司)
P「産業革命への戸惑いから19世紀の西洋世界で中世が再評価された。(中略)中世ブームはイギリスなどヨーロッパ諸国だけでなく、中世を体験していないアメリカにも波及した。中世に対する郷愁は、当然ながら中世の騎士道精神やマリア信仰に対する関心を呼び起こした。‥‥つまり中世を理想化することは禁欲主義的で女性に対する礼節を重んじる気風を強化する‥‥」
「アメリカ的な行動規範として、『レディー・ファースト』を思い浮かべる人も多いと思うが、実はこうした発想は、民主主義の理念というよりは、明らかに中世的な女性観に近い。‥‥レディ・ファーストの習慣の定着は、それだけアメリカ社会が中世的女性観の影響を受けたことを物語っている。(中略)これを『ヴィクトリア二ズム』と呼ぶ。ヴィクトリア二ズムの性道徳が浸透したのは、中産階級以上の白人だった」
「19世紀のアメリカは農業社会から工業社会への移行を体験したが、それは同時に新興勢力としての中産階級を生み出した。だが、血筋や宗教といった既成の権威を保持していなかった中産階級は、‥‥ヴィクトリアニズムを新たな規範として受け入れ、下層階級とは一線を画す証にしようとした。ヴィクトリアニズムは、規範的社会人としての新興中産階級の道徳的優越性を保証することとなった。(その結果)‥‥女性には、貞操を貫き、良き妻、良き母として夫に尽すことが求められた」(『性と暴力のアメリカ』)
イラク戦争の時、ラムズフェルドは「ふるいヨーロッパ」と批判したが、本質的には「古いヨーロッパ」を抱え込んでいるのはどっちだろう?
Qアメリカ文化の分り難さの一番の大きな理由は、「アメリカの政治・経済・司法・宗教あらゆるインフラストラクチャーを築いたイギリス系アメリカ人=WASP(白人、アングロ=サクスン、プロテスタント)が今では、ドイツ系とアイルランド系の後塵を拝し、人口が第三位に落ちてきたことにある」と、越智道雄は『ブッシュ家とケネディ家』の中で書いている。
「俗にアメリカの三つのパワーポイント、ワシントンDC、ウォール・ストリート、ハリウッドのうち、前の二つはWASPが創設した(最後のものの創設者は言うまでもなくロシア・ユダヤである)」「しかし今日、全米総人口の八割弱が『非WASP』となった。WASPと非WASPの結婚は当たり前になった。ジョージ・W・ブッシュ現大統領の弟ジェフ(フロリダ州知事)はメキシコ女性と結婚、しかも監督派という上流WASPが多い、 ブッシュ家代々のプロテスタント宗派を棄て、妻の宗旨、カトリックに改宗している」
R『分断されるアメリカ』(サミュエル・ハンチントン)
「アングロ−プロテスタントの文化は三世紀にわたってアメリカのアイデンティティの中心をなしてきた。それこそアメリカ人に共通するものであり、多くの外国人が述べてきたように、他の国民とアメリカ人を区別してきたものでもあった。ところが、二十世紀になると、この文化の顕著性は、中南米やアジアから新しい移民の波が押し寄せたことによって挑戦を受けた。あるいは、知識人や政治家のあいだで多文化主義と多様性を重視する政策が人気を博したことや、アメリカの第二言語としてスペイン語が普及してアメリカ社会の一部がヒスパニック〔スペイン語を母語とする集団〕化したこと、人種、民族性、ジェンダーをもとにした集団的なアイデンティティが主張されたこと、国外離散者と彼らの祖国の政府の影響力が強まったこと、エリート層がますます世界主義的でトランスナショナルなアイデンティティをもつようになったことによっても、その優越性はおびやかされた。
これらの挑戦に応じて、アメリカのアイデンティティは次のような方向に発展していくだろう。(1)信条にもとづくアメリカ――歴史的な文化の中心を失い、アメリカの信条の原則にたいする共通の義務によってのみ結びつけられたもの、(2)二分化されたアメリカ――スペイン語と英語という二つの言語と、アングロ−プロテスタントとヒスパニックという二つの文化をもつもの、(3)排他主義のアメリカ――再び人種と民族性によって定義され、ヨーロッパ系の白人以外を排除するか従属させるもの、(4)活気を取り戻すアメリカ――伝統的なアングロ−プロテスタントの文化、信仰心、価値観を再確認し、非友好的な世界と対峙することで強化されるもの、(5)これらや他の可能性をいくつか組み合わせたものである」
「ロン・ウンズは次のように主張する。『ヒスパニックの四分の一以上は伝統的なカトリックの信仰から、プロテスタントの福音主義教会に改宗した。この宗教的変容はかつてない速さで進んでおり、アメリカ社会への同化とも明らかに関連している』
一方、こうした離反が突きつける挑戦に、カトリック教会側は激しい対抗手段で応じ、ヒスパニックの移民をアメリカのカトリック教徒にすることによって、アメリカ社会への同化をうながしている。アメリカの宗教団体間の信者をめぐる競争は、アメリカ化を推進する強大な勢力なのである」
「一九九四年に、メキシコ系アメリカ人は、不法移民の子供への社会保障給付を制限するカリフォルニアの提案一八七号に反対して積極的なデモを行い、メキシコの国旗を振り、アメリカの国旗を上下逆さまにしながら、ロサンゼルスの通りをねり歩いた。一九九八年には、前述したように、ロサンゼルスで開催されたメキシコ対アメリカのサッカー試合で、メキシコ系アメリカ人が米国国歌『星条旗』にたいして野次をとばし、アメリカ選手を非難し、アメリカの国旗を振る観客を攻撃した。入手できるデータを見るかぎり、アメリカをはっきりと拒絶し、メキシコのアイデンティティを主張するこうした傾向は、メキシコ系アメリカ人社会のわずかな過激派だけのものではない。メキシコ移民とその子孫の多くが、アメリカへの帰属意識を第一に考えていないようなのだ」