11・18 グランド・ゼロに世界不戦の旗を立てる 「いつも心に憲法を」隊、アメリカを行くB
ノンフィクション作家 吉田司 (週刊現代 連載の第三回)
9・ 11 同時多発テロから5年目のニューヨークは朝から小寒く晴れわたり、街中に国旗(半旗)が掲げられ国家「星条旗よ、永遠なれ」が聞こえた。アメリカは昔から“国旗フェチの国だが、文豪ノーマン・メイラー( 83 歳)は特にブッシュ政権を「国旗保守主義者」(フラッグ・コン)と呼んでいるらしい。それなら「日の丸」強制教育のあの石原慎太郎東京都知事もお仲間の一人、「日本のフラッグ・コン」だ。
街角の号外新聞には「V ow never to forget 」(あの日を決して忘れない)という“ブッシュの誓い”の言葉がデカデカと大文字で躍っている。なんだい、また「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)の国民総決起方程式を復活させようってのかい?
「無理無理、いまのブッシュの支持率、絶望的に低下してる」などとワイワイガヤガヤしゃべくりながら、ウォール街ストリートを< 14 人の日本人>が、あの崩壊したツインタワー跡地での市民「追悼」大集会に向かってゆきます――そう、「主権在民!共同アピールの会」、別名「いつも心に憲法を」隊・米大陸横断記最終回≪ぼくらはグラウンド・ゼロ(爆心地)で何を見たか?≫でございまする。
ふりかえれば、この旅は現代「反テロ戦争」世界に対抗する<ドン・キホーテな平和な夢>の旗を3本、国旗フェチ帝国アメリカの内部に立てる目的だった。1番目はサンフランシスコのオペラハウス前に、パリ不戦条約の旗を翻した。 2 番目はボストンの独立戦争記念碑の前で、建国の父ワシントンの「圧制者への抵抗」精神よ、甦れ! と叫びかけた。そして3番目の旗は……、ここグラウンド・ゼロにメンバーが各個バラバラ、好き勝手に立てるのである。なぜなら、加藤梅造(トークライブハウス・新宿ロフトプラスワン店長)のこの旅の中心は、アメリカン・ロックの反逆魂がいまどこにあるかを探し求めることだし、「謎のサラリーマン」(正体不明)は「米国内の世論調査でも9・ 11 テロは『米政府の陰謀説』が3分の1を占める」(週刊ポスト)、その現実を自分の目で確かめたかった。大木晴子(イラク反戦など、新宿西口で「スタンディング」活動中)は「非戦」「ピース」の布地を掲げて、この“世界の中心”にスタンドして、アメリカ市民と対話することが念願だった。
つまり、グラウンド・ゼロを埋めつくす星条旗の波の中に、ぼくらは一人ひとりの心の中に「止むに止まれぬ大和魂」=世界不戦の<夢の旗>を立てて対峙したのである、こんな風に……。
メモリアル・スポットとなったグラウンド・ゼロは地中に深くえぐられた穴倉――四方をフェンスに囲まれ、土木工事現場の巨大な資材置場のように見えた。ブルドーザーやクレーン車が並ぶ。その空地に、テロの犠牲者や消防士、ニューヨーク市警らの喪服・喪章の大集会が開かれていた。教会の鐘が鳴り、あの日亡くなった犠牲者の名前が延々と読み上げられていた。フェンスに顔を埋めて涙する人、着飾ってこの「ハレの日」を見物に来た人々、勲章で飾り立てた退役軍人、修道女、そして黒いTシャツ姿の反戦派(「陰謀説」の人々)……黒山の人だかりの中で、吉岡忍(作家)が突然、わたしと野中章弘(アジアプレス代表)に向かって語りだした。吉岡はテロの1週間後、この惨劇の現場を訪れていたのだ。
吉岡 黄色い煙がまだあがっていたんだよ。すごいにおいがしてね。だって2700人も死んだんだぜ。瓦礫を運ぶトラックにも、人間の肉片がこびりついていた……。あれから5年たって、いまは何もない。カラッポな工事現場のように見える。しかしそうじゃない。
このゼロ空間には、あれからアフガン空爆やイラク戦争の何万人もの他国民の血が<代償として>流れこんでいるんだ。グラウンド・ゼロの悲劇はもうアメリカ人だけのものじゃなくなっている。そしていまも増殖を続けている。
野中 毎日バグダッドで市民が死んでゆく現実とここは直接つながっているわけですね。だから、わたしは今、 85 年エチオピアの大草原の難民キャンプで老人や子供が次々と大量死していった情景がしきりに甦ってくるんです。あの飢餓死はあの時、世界中の何処とどうつながっていたのだろうって。
吉田 だけどねそのアフガンやイラクが流した血の量は、ぼくらの目には見えるが、アメリカ人の目には見えていない。グラウンド・ゼロはあくまで2700人の犠牲者だけの聖地なんだ。そういうブラインドされた、狭いものの見方って何かに似てないか? そう、日本の靖国神社だよ(笑)。靖国は、大東亜戦争のアジアの死者“2000万人の血の量”については見事なまでにブラインドされたスポットだ。つまり5年目のグラウンド・ゼロとは、アメリカのヤスクニ化なのさ。
わたしは思った、かつて湾岸戦争があった頃、日本は一国「平和」主義だと各国から非難された。しかしいまのアメリカもその本性は、一国「愛国」主義ではないのか。世界をリアルに直視しないという点では、大同小異だと。
でもね、ぼくらはその晩、マンハッタン南部グリニッジビレッジ地区にある「カラーズ」という料理店で、大きな希望をひとつ拾った――愛国主義一色だった米国にも“変化の風”が吹き始めていることを知った。あのアフガン“報復”戦争に反対した遺族団体「ピースフル・トゥモローズ」が5年目にしてはじめて、スペインの列車爆破テロやロシアの小学校テロ、インドネシアのホテル爆破の被害者らを招き、ニューヨーク国際会議を開いたのだ。その中心で活動するデビッド・ポートリーさんに、「カラーズ」で話を聞いた。ちなみに「カラーズ」は、倒壊した世界貿易センター北棟最上階にあった高級レストランの元従業員らが今年1月にオープンさせた新しい店。従業員が世界 20 か国以上からの移民労働者であるため、その名前がついた。デビットさんも、その北棟崩壊で愛する兄を失ったのだった。
「辛かったのは、 04 年の大統領選のとき。彼らは9・ 11 の遺体が並ぶ映像を繰り返し流して、反テロ戦争の宣伝に利用した。それを批判すると、四方八方から愛国主義右翼の攻撃に取り囲まれた。しかし、この5年で、何が一番変わったかというと、それは自分自身だ。戦争に反対している世界中の人々、例えば日本のヒロシマの被爆者に会って、私は自信と勇気を回復していった。『戦争に反対することは、罪でも異端でもない。当たり前のことなんだ』とね。そしてこう思った。自分でさえ変わったんだ。世界の声の前では、アメリカも変わるはずだと」
そうした9・ 11 の声を聞いて、ぼくらの旅は終わりを迎えた。なぜなら、ぼくらが今回、狭い島国ナショナリズムの国境線を越えてワールドワイドな“世界精神”を模索する旅に出たように、デビットら9・ 11 遺族もまた一国「愛国」主義を世界精神の方角から撃とうとしていたからだ。旅の締めくくりは、、アメリカでも指折りの「古参」女性活動家コーラ・ワイズに会うことだった。コーラは、キング牧師の公民権運動→ベトナム反戦でハノイの「人間の盾」となるなど、これまで2回、ノーベル平和賞候補になっている歴戦のおばちゃん闘士だ。彼女のエネルギッシュな語り口、ユーモアにまぶした強靭な反権力・自由なる精神は、ぼくらドン・キホーテ旅団のメンバー全員をチャームした。「この旅で、はじめてアメリカらしいアメリカに出会った」(元木昌彦・旅団長)と。
コーラは何を語ったか。それをお伝えして、この「いつも心に憲法を!」隊の米国大陸横断報告記のお別れの言葉に代えよう。
「わたしのいままでの人生で、今ほど世界でアメリカ悪くなった時代はない。原理主義者が支配しています。恐怖の文化がはびこっているのです。……テロリズムは許されない。けれども、テロリストがなぜ存在するのか。なぜアメリカがこれほどの憎しみを受けるのか、考えなければならない。政策を変えなければ。石油への欲を抑えることも。世界が暴力的にならぬよう、やるべきことは沢山ある」
「これまで人類は、奴隷制を廃絶させたではないか。いまでは植民地主義をすばらしいと言う人はいない。なぜ<戦争>だけが廃絶できないのか?! 日本とアメリカが力を合わせて、憲法9条を守りぬくことです。 9 条を書いたことは、 20 世紀においてアメリカがやった最もすばらしいことのひとつなのだから」
いま日本は、金正日の核実験で、9条を乗り越えて<自衛のため戦争>に走る可能性が高まっている。コーラの言葉が胸にしみる。ぼくらは非暴力、非戦の旗をさらに高く掲げるだろう。